死とは

 地上に生をうけた人間にとって死は避けられません。いつかは地上に別れを告げなければならない時がまいります。それは、もはや地上生活がそれ以上その霊に与えるものが無くなり、完全へ向けての進化の不可欠の要素として、次の冒険へ旅立つ用意ができたということです。
【潮文社(10)P64】

 ー死んで霊界入りした人間は自分が死んだことが自覚できるのでしょうか。
  みんながみんな自覚できるとはかぎりません。大半の者が自覚できます。が、完全な自覚(悟り)に到達するには
  相当な時間が掛かります。
【潮文社(10)P60】

 霊視能力者が見れば、霊体と肉体をつないでいるコードが伸びて行きながら、ついにぷっつりと切れるのが分かります。その時に両者は永久に分離します。その分離の瞬間に死が発生します。
【潮文社(10)P50】

 死ぬということは霊が肉体から脱皮して姿を現す過程のことです。何一つ怖がる要素はありません。死は有難い解放者です。死が自由をもたらしてくれるのです。
【潮文社(10)P50】

 ぜひ知っていただきたいことは、火葬までに最低三日間は置いてほしいということです。というのは未熟な霊は肉体から完全に離脱するのにそれくらい掛かることがあるからです。
【潮文社(9)P215】

 死体を火葬にすることは、道具としてよく働いてくれたことへの最後の儀礼として、清めの炎という意味からも非常に結構なことです。同時に又、心霊知識も持たずに霊界へ来た者が地上の肉親縁者の想いに引かれて、いつまでも墓地をうろつきまわるのを止めさせる上でも効果があります。
【潮文社(9)P215】

ー死体は火葬にした方がいいでしょうか。
「ぜったい火葬がよろしい。理由にはいろいろありますが、根本的には、肉体への執着を消す上で効果があります。
【潮文社(9)P214~215】

 あなた方はなぜ死ぬということをそんなに悪いことのように考えるのでしょう。私たちの世界では仲間が地上へ誕生して行った時に泣くことがあります。地上を去ってこちらへ来ると手を取り合って喜びます。地球を離れることがなぜ悲劇なのでしょう
【潮文社(9)P190】

 死は霊に準備ができた時に訪れるべきものです。それはリンゴが熟すると実が落ちるのと同じです。
【潮文社(8)P144】

 霊が身体から離れるべき時期がくれば、地上のいかなる機械をもってしても、それ以上つなぎとめることはできません。
【潮文社(8)P135】

 霊と身体とをつないでいる“玉の緒”(コード)ー胎児と母胎とをつないでいる“へその緒”と同じですーが切れると、霊は身体から解放されます。
【潮文社(8)P134】

 死は大部分の人にとって悲劇ではありません。
【潮文社(8)P71】

 私の世界へやってきた人は死が階段を一つ昇ったことを意味すること、大きな解放を得たことを理解します。
【潮文社(8)P67】

 大部分の人にとって死は牢からの解放です。
【潮文社(8)P64】

 一種の自己憐憫の情です。自分自身への哀れみであり、愛する者を失ったことを嘆いているのです。苦の世界から解放された人のために涙を流すべきではありません。
【潮文社(8)P64】

 地上では死を悲劇と考えますが、私たち霊の立場からすれば悲劇ではありません。解放です。なぜなら、魂の霊的誕生を意味するからです。
【潮文社(8)P62】

 地上の科学者がいかなる説を立てようと、いつかは必ず肉体に死が訪れます。それは霊を解放するという役目を果たすことになるのです。
【潮文社(8)P62】

 死は、死ぬ人自身にとって少しも悲劇ではありません。あとに残された人にとってのみ悲劇なのです。暗黒の世界から光明の世界へと旅立つことは悲しむべきことではありません。
【潮文社(7)P88】

 生命は永遠にして無限であり、死は存在しないこと、人間の一人一人が宇宙の創造という大目的の一翼を担う存在であると説いているのです。
【潮文社(7)P48】

 墓の向うにも生活があるのです。あなた方が“死んだ”と思っている人たちは今もずっと生き続けているのです。
【潮文社(7)P27】

 みなさんもいつかは死ななくてはなりません。霊の世界へ生まれてくるために死ななくてはなりません。地上の人にとってはそれが悲しみの原因となる人がいますが、霊の世界の大勢の者たちにとってそれは祝うべき慶事なのです。
【潮文社(6)P184】

 地上で死を悼んでいる時、こちらの世界ではそれを祝っていると思ってください。
【潮文社(6)P153】

 死が鳥かごの入口を開け、鳥を解き放ち、自由に羽ばたかせたことを理解なされば、嘆き悲しむことが少しも本人のためにならないことを知って涙を流されることもなくなるでしょう。
【潮文社(6)P153】

 死は消滅ではありません。霊が別の世界へ解き放たれるための手段にすぎません。
【潮文社(6)P101】

 霊の世界への誕生である死は、その個性をもつ霊が巡礼の旅の第二段階を迎えるための門出です。
【潮文社(6)P94】

 死ぬことは悲劇ではないからです。あとに残された家族にとっては悲劇となることがありますが、死んだ本人にとっては少しも悲しいことではありません。新しい世界への誕生なのです。
【潮文社(6)P72】

 死んでいく人たちのために涙を流してはいけません。死に際のショック、その後の一時的な意識の混乱はあるにしても、死後の方がラクなのです。
【潮文社(5)P230】

 私はいつも“死”は自由をもたらすものであること、人間の世界では哀悼の意を表していても、本人は新しい自由、新しいよろこび、そして地上で発揮せずに終った内部の霊性を発揮する機会に満ちた世界での生活を始めたことを知って喜んでいることを説いております。
【潮文社(5)P32~33】

 ー死後の生命は永遠ですか。
「生命はすべて永遠です。生命とはすなわち神であり、神は永遠だからです」
【潮文社(4)P146】

 ー呼吸が止まった直後にどんなことが起きるのですか。
「魂に意識のある場合(高級霊)は、エーテル体が肉体から抜け出るのがわかります。そして抜け出ると目が開きます。まわりに自分を迎えに来てくれた人たちが見えます。そしてすぐそのまま新しい生活が始まります。魂に意識がない場合は看護に来た霊に助けられて適当な場所ー病院なり休息所なりーに連れて行かれ、そこで新しい環境に慣れるまで看護されます」
【潮文社(4)P145】

 ー死後の生命を信じず、死ねばおしまいと思っている人はどうなりますか。
「死のうにも死ねないのですから、結局は目覚めてからその事実に直面するほかないわけです。」
【潮文社(4)P139~140】

 死ぬということは肉体という牢獄に閉じ込められていた霊が自由になることです。
【潮文社(4)P134】

 死ぬということは決して悲劇ではありません。今その地上で生きていることこそ悲劇です。
【潮文社(4)P133】

 “死んだ人”たちはあなたのもとから去ってしまうのではありません。死という名のドアを通り抜けて新しい生活へ入っていくだけです。
【潮文社(4)P44】

 ーわれわれが死ぬ前と後には霊界の医師が面倒をみてくれるのでしょうか。
「みてくれます。霊体をスムーズに肉体から引き離し、新しい生活に備える必要があるからです。臨終の床にいる人がよく肉親の霊や知らない人が側にいるのに気づくのはそのためです。魂が肉体から抜け出るのを手助けしているのです」
【潮文社(3)P212~213】

 人間が(あなた方の言い方で)死んで私たちの世界へ来ます。その時、(肉体は捨てても)精神と魂に宿されているものは何一つ失われません。それは霊的であり、無限であり、霊的にして無限なるものは絶対に無くならないからです。
【潮文社(3)P138~139】

 苦痛と老令と疲労と憂うつとから解放された人をなぜ悲しむのでしょう。暗闇から脱して光明へと向かった人をなぜ悲しむのでしょう。霊の本来の欲求である探求心を心ゆくまで満足できることになった人をなぜ悼むのでしょう。それは間違っております。その悲しみには利己心が潜んでいます。自分が失ったものを悲しんでいるのです。
【潮文社(3)P45】

 私どもはぜひとも無知ー死を生の挫折、愛の終局、情愛で結ばれていた者との別れと見なす無知を取り除きたいのです。そして死とは第二の誕生であること、生の自然な過程の一つであること、人類の進化における不可欠の自然現象として神が用意したものであることを理解していただきたいのです。死ぬということは生命を失うことではなく別の生命を得ることなのです。
【潮文社(3)P44~45】

死ぬということはバイブレーションの問題、つまり波長が変わるということにすぎないことを認識してください。
【潮文社(3)P44】

ー死んだことの気づかない場合はどうなりますか。
「死んだことに気づかない場合はそれまでと同じ状態が続きます。が、こうしたご質問に対しては一概にイエスともノーとも言えないことがたくさんあります。ほかにもいろいろと事情があるからです」
【潮文社(3)P24】

問「死とは何かを子供にどう説かれますか。」
答「その子供に理解力があればの話であることは無論ですが、死とは、小鳥が鳥かごから放たれて自由に羽ばたくように肉体から解き放たれて、より大きな生活の世界へ進んで行くことであると説明しましょう。」
【潮文社(1)P180】

 死は地上生活の労苦に対して与えられる報酬であり、自由であり、解放です。いわば第二の誕生です。死こそ真の生へのカギを握る現象であり、肉の牢の扉を開け、閉じ込められた霊を解き放ち、地上で味わえなかった喜びを味わうことを可能にしてくれます。
【潮文社(1)P150】