祈りとは神性の一かけらである自分がその始源とのいっそう緊密なつながりを求めるための手段です。
【潮文社(7)P205】
祈りには目的があります。魂の開発を促進するという霊的な目的です。
【潮文社(7)P205】
祈りとはわれわれのまわりに存在するより高いエネルギーに波長を合わせる手段だからです。
【潮文社(7)P198】
祈りとは魂の情憬と内省のための手段、つまり抑え難い気持を外部へ向けて集中すると同時に、内部へ向けて探照の光を当てる行為であると考えております。ほんとうの祈りは利己的な動機から発した要望を嘆願することではありません。
【潮文社(7)P198】
祈りとは本来、自分の波長をふだん以上に高めるための霊的な行為です。波長を高め、人のために役立ちたいと祈る行為はそれなりの効果を生み出します。
【潮文社(6)P47】
祈りとは魂の行です。より大きな自我を発見し、物的束縛から脱して、本来一体となっているべき高級エネルギーとの一体を求めるための手段です。
【潮文社(3)P226】
祈りは魂の活動としての価値があります。すなわち自己の限界を悟り、同時に(逆説的になりますが)内部の無限の可能性を自覚し、それを引き出してより大きな行為へ向けて自分を駆り立てる行為です。
【潮文社(3)P223】
祈りというものは大勢集まって紋切り型の祈祷文や特別に工夫をこらした文句を口にすることではありません。祈りは自然法則の働きを変えることはできません。原因と結果の法則に干渉することはできません。
【潮文社(3)P222】
祈りとは何かを理解するにはその目的をはっきりさせなければなりません。ただ単に願いごとを口にしたり決まり文句を繰り返すだけでは何の効果もありません。ー中略ー 人のためという動機、自己の責任と義務を自覚した時に油然として涌き出るもの以外の祈りをすべて無視されるがよろしい。
【潮文社(3)P218~219】
ー祈りは叶えられるものでしょうか。
「叶えられる時もあります。祈りの中身と動機次第です。人間はとかく、そんな要求を叶えてあげたら本人の進歩の妨げになる、あるいは人生観をぶち壊してしまいかねない祈りをします。そもそも祈りとは人間が何かを要求してそれをわれわれが聞き、会議を開いて検討してイエスとかノーとかの返事を出すのとは違います。祈るということは、叶えられるべき要求が自動的に授かるような条件を整えるために自分自身の波長を高めて、少しでも高い界層との霊的な交わりを求める行為です」
【潮文社(3)P140~141】
祈りとは波長を合わせることです。すなわち私たちの意志を神の意志と調和させることであり、神とのつながりをより緊密にすることです。そうすることが結果的に私たちの生活を高めることになるとの認識に基いてのことです。
【潮文社(2)P169】